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にっき。
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あすくの帰還ED後のドラマCDは自分の中でフリスビー案件になりました。



ということで本編ベースで考えているのですが、帰還EDが消化しきれていません。
正直宿でのあすくと二人の関係が好きだったので、余計あのEDをどう捉えていいのかわからないのかもしれない。
最後にとんでも設定をぶっ込んで来た精神分裂云々の是非は問わないとして、

・現実から逃げずに自分の力で立場を勝ち取ったあすく
・現実から逃避して他者によって向き合えたあすく

この二つに精神が分かれていたとすると、戻りました、融合しました、覚えてました、現実では成功していました、はいハッピーエンドな!ってあまりにもキツくないですか…?
フォロワーさんが「融合というよりむしろ乗っ取り」「キセルのようなズルさを感じる」と呟いていて、ああー!ってなりました。
このズルさは現実で頑張ってきたあすくのみならず、宿から帰還したあすくにとっても、エグい仕打ちだなと感じました。

宿でのあすくは、「親に愛されない自分」という現実から目を背けて、でも捨て切れなくて、中途半端でぬるま湯に浸かりながら苦しんでいたのを、日天に「逃げてもいい」「家を出ればいい」と肯定されて目からウロコになるんですよね。
自分を認めてもいいんだ、現実でも頑張ろう、って思えるようになって、最後は自分よりも日天のことを思いやって、前向きになって、不安とともに帰還して、感動的なシーンにしておいて。

結果アレです。
既に逃げずに頑張っていた自分がいた訳です。

宿で過ごして向き合った経験はなくても、立ち直れちゃってた訳です。
融合したとのことなので、恐らく頑張ってきた自分も自分と認識するんでしょうか。
だとしたらそんな目覚めた時の自分の現状も否定することは出来なくなる。
それって宿で決意した、これから頑張ろうという未来への余地を奪われたことにならないですか…?

正直、恩恵を得たというより、むしろ搾取されたというのに近いと思ってしまった。
あれを過程として話が続くのであれば納得できたのかもしれませんが、あれが結末だったのでハッピーエンドではないなと思った次第です。



…とだらだら書いていて思ったのですが、つまり自分は宿でのあすくが凄く好きだったんだなあ…。
帰還ED後のモヤモヤも、ご都合主義のズルさよりも、宿でのあすくが奪われたことに戸惑っている気がする。

奇しくも「同じではない自分は嫌?」というあすくの言ですよね。
日天は良いと言ったけれど、自分は嫌だったというだけなのかも。
推しが死ぬよりも、好きだった推しが別物に変質してそれを良しとされる方が辛いよねという話です。
いや本当にあすく帰還EDはあれから一悶着起こしてほしくて仕方ない…。
追加要素を震えながら待つことにします。


あすくEDだと、個人的には終焉参が好きです。
中途半端に食べられちゃったけれど何とか命だけは無事でしたED。
あのあすくは日天に対して罪悪感と愛しさを感じつつも、稚拙なレベルながら「現実ではなれなかった医者」になれたという仄暗い承認欲求満たしているのが何ともいい感じです。
酷いチグハグな縫い目の残る身体や、玩具の義眼があすくの精神の稚拙さを際立たせているようで堪らない。
日天を失いたくない気持ちもあったでしょうが、自分の欲を満たすためにも治療をしたんだろうなあ…。
あれぞ正しくメリバなんですが、ゾクゾクする良いEDでした。
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